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京都女子大学辺りも鳥辺野、阿弥陀峰は東山一高く豊国陵、その東に定子陵、藤原三代の墓や皇后などの墓も多数存在し泉涌寺に至ります。第一日赤や私の母校月輪中学のグラウンドからも多数の人骨が出たとか聞いています。
清水寺の近くにこんな大きな墓地があるなんて知らなかったです。
実際の京都の方が紹介してくださるのが興味深かったです。音楽も好きでした!
京都は行った事はあるがなかなか歩いて回る事はないから有り難いです。歩いて京都をまわりたいが方向音痴なので一人は、無理。でも人がいると気が散る。んで有り難い動画です。有り難い😊
京都に行ったのは修学旅行しかありません😅可愛いバスガイドさんが京都慕情を歌ってくれたのが良い想い出です😢近いうちに行きたいです!
大谷本廟の裏手?にたくさんのお墓がずらずら並んでいますね...
今熊野の滑り石街道の入口、すし丸と漬物のにしだ屋の所に鳥辺野陵、中尾陵の石碑があります。街道を行くと親鸞聖人荼毘所と言う寺がある、親鸞聖人荼毘所は多く存在しますがそんな場所みたいですね、石仏がまとめられた処も九相図の最後も耳塚みたいな石塔ですね。檀臨皇后であの規模。
昨夜の大河ドラマを見ていたとき、ふと清水寺の近く?なんて考えていました。やっぱりそうだったのですね。(笑)私達が現在住んでいる場所や、公園って古地図と比べると怖いと感じる事があります。つまり歴史を知り生きる必要もあるのです
我も改めて当時の状況を想像しながら鳥辺野まで歩いて、歴史を知る大切さを改めて感じました。これからも外に出て色々調べたことを配信させていただくのでよろしくお願いいたします。
鳥辺野は 「お墓を通ると清水寺への近道」みたいな覚え方してたな……
20年前に京都旅行へ行った時、清水寺へ行きたかったけど夕方で時間が無いのでタクシーで行きました。近道だよって事でこのあたりで降ろされました。運転手さんが昔の人は亡くなるとこの山の上から人を転がり捨ててた場所なんですよって😨夕闇の中、観光者なんか誰もいない、このお墓の脇を駆け抜け、清水寺へ辿り着いたときはホッとしました。当時はなんだか意味が分からず、ただ、ただ怖いだけでしたが、大河ドラマと、このRUclipsを見て、点と点がつながったようでスッキリしました。ありがとうございます。
身体を張ったレポート有難うございます~。今は普通に墓地なんですね。
お墓は怖いところではありませんよ。
ブラタモリの清水寺の回の最後で紹介していた場所
さだまさしさんが「鳥辺野」という曲を作詞作曲し歌っています。彼女が別れた彼氏との思い出の記憶が消えていく様を風葬地・鳥辺野に朽ちていくシ者に準えた風葬地のおどろしさはない晴れた秋の昼間に訪れたような歌です。
今日、犬と散歩してたら渋谷街道、五条バイパス沿い、清閑寺近くに高倉天皇、六条天皇陵、遍照の墓という石碑が在りました、多くの陵は豊国陵や京都女子大学なんか建設時に壊されたのかな。その左右に多く存在してます。この辺りは東山最高峰の裾野、平氏の小松谷も近く高倉天皇、小松谷は後白河陵、法住寺殿の背後、私の母校一橋小学校は滋子の寺、定家も景勝を絶賛した景勝光院跡で仏具が出土しています。その屋上での体操の時間は確かに定家に言うとうりに思います。
大谷本廟や大谷祖廟は圧倒されますよね。でも、あの一基一基のお墓の下には日本を支えて生きてこられた方々が眠られているのかと思うと不思議と怖い気持ちは無くなります。合掌。
8:35辺りにお墓の間に赤い細長い光が見えるんですけど、あれも京都タワーですか?昼間の動画にも京都タワーが映っていたので中心地からこんなに近いんだ…と驚きました平安時代はこんな風に墓石など建っていなくて、ご遺体が散乱してたのでしょうね…奈良時代に描かれた九相図さながらに…怖いけどちょっと興味を惹かれる光景でもありますね
コメントありがとうございます。はい、ご推察の通り京都タワーです。割と京都駅からも近いんですよ。
@@surrealjapan1269 京都タワーで良かったですw金網から見えたのはハッキリしてたけど墓石の間に隙間なんてあるかな?って思って…もしかして…って怖かったので京都タワーって言ってもらって安心しましたw
現地を見せていただきましてありがとうございます。とても興味深く視聴させていただきました。飢饉や疫病が流行った時は凄惨な光景が広がっていたかもしれませんね…ただ本来墓地は清められた場所とはいえ、何か「障り」がありましたら躊躇なくお祓いを受けられることをお勧めいたします。またこのような場所に行かれた際は「障り」があるかもしれませんので、何も持ち帰らないようお願いしたいと思います。
遥か昔の葬儀事情がよく判りました‼️水木しげる先生の墓場の鬼太郎の世界ですね。❗
清水寺の舞台から飛び降りた気持ちで とか言いますね。昔は清水寺の舞台から亡骸を下に落としてたんです。亡骸は木の枝に引っかかり、鳥葬の準備完了。つまり飛び降りた気持ちでとは、死んだつもりでと言う意味なんですよ。
泉涌寺辺り今熊野観音寺参道のもう一本の道を行くと鳥辺野陵と書いた石碑が有ります。そこを登ると定子陵、藤原三代の陵、が有ります。
阿弥陀ヶ峰が阿弥陀如来なら渋谷から五条辺りの山が勢至菩薩、定子陵辺りの阿弥陀ヶ峰の南隣の山が観音菩薩、御所からもあの辺りと認識出来たでしょうね。記憶が不確かですが、村上天皇の皇后陵もその辺、日赤の西、本町にも中尾陵、京阪東福寺駅にも何とか皇后陵の案内石碑がありますね。今度良く見て置きます。
色々勉強になりました。こうして歴史のあるまちならわかりますが、ニュータウンと呼ばれるまちだと何もわからないですね。
やはり地元の方に案内してもらうとすごく楽しいですね。うちは戦国時代より前から江戸ですが、地元の谷中銀座はほとんど新しく変わってしまいました。しかも、昭和あたりから移り住んできた地方の方だらけのようで、嘆いていました。京都はいいですね。
昨日大河を見て鳥辺野ってどこやろ?と思っていましたが、ここは実家のお墓があるところでした😅もう少し下行ったところのお墓の間に普通のお家もあり、小さい頃は住んでる人怖くないのかな?と思って通っていました。
この片隅に親族の墓があり、彼岸の都度お参りしておりました。
貞教幼稚園同級生の家には地域のでは無くその家のお地蔵様、石仏が在りました。祀ると家が栄えると。定子陵や藤原三代陵の西の今熊野観音寺に平安時代と言われる、耳塚のような立派な石塔が有ります。同じく泉涌寺の塔頭寺院の即成院には那須与一の墓という石塔が有ります。泉涌寺辺りに清少納言が晩年に住んだという人も居ます。定子陵が近くに有るからでしょうか。この地域の歴史は今熊野神社の宮司さんが詳しく、地域の小誌に書かれてましたが、数年前に亡くなられてます。
観光客は行かない場所ですね。お墓が密集して お彼岸の時は凄いんでしょうね。
鳥辺野、鳥部山、の表記も、鳥部が住んでいたのでしょうか。
京都の道路事情 ボコボコですね
東山の名前調べると、阿弥陀ヶ峰の前が鳥辺山、横が今熊野山、阿弥陀ヶ峰の横が泉山、前が大日山、稲荷山へ続く。住宅地も山やったんやね。
何が怖いのかよく分からん…要はお墓でしょ…?子供じゃないんだからさ。
京都に行ったら必ず、お参りする場所。鳥辺野陵。俺にとってはアイドルでもある中宮定子様の陵(というか別の人も書いてるけど当時の歴代皇后陵)ここを通って清少納言が晩年住んだと言われるあたりの泉湧寺をお参りしてそれから京都観光に回るのがいつもの京都のルーチン
棺桶に三途の川の渡し賃としてお金をいれてたので、その渡し賃で飴を買っていたと聞いてますが?
初めまして。ちょっと伺います。 3/3の夜の大河ドラマの放送後に この動画をUPされたのですよね? 「道長とまひろが行った この鳥辺野は, もっと鬱蒼と茂っていた筈です」とナレーションしていらっしゃいましたが、昔 いらして動画を撮ってあったのを、3/3の大河ドラマ後に、大急ぎで編集されたのでしょうか? しかし、お仕事が速いですね❗️
ご質問ありがとうございます。はい、夜の大河ドラマが終わってすぐにUPしたんです。事前に仕込んでました(笑)ちなみにBS4Kというチャンネルでは日曜日のお昼から放送されてるんですよ。
ハッピー六原、結構惣菜や弁当が美味しい。
一つお聞きしたいのですが、清水寺を下って六波羅蜜寺までの距離にお墓って道沿いに多く有ったんでしょうか。
今日犬と散歩してたら馬町に佐藤忠信の塚というのがあった。
今日の犬の散歩で今熊野から滑り石街道に仁明天皇女御澤子様の御陵がありました、鳥辺野陵の石碑が。もう少し南が定子陵ですね、石仏が多い地域です。まとめて祀ってありましたよ。
それこそ、日本全国強者どもの夢の跡かも私の卒業した高校のグランドは昔の首塚です。小さな神社には手が生えているという霊感の強い人もいます。私は見えない部類なので幸せですが、そんな歴史はリスペクトしています。今という時代を形跡しているので
日は西にぞ入り給う、東山から見る西方浄土、西山に入ル日輪は信仰を喚起します。祖母も良く手を合わしてました。
東山三十六峰の古図を見ると阿弥陀ヶ峰の前に鳥辺山、横に今熊野山、大日山、泉山、稲荷山へ、鳥辺野て鳥辺山の裾野でしょうね、京都では野のつく地名は葬送の地と言われてます。蓮台野、鳥辺野、紫野、鳥辺山て智積院とか妙法院辺り?秀吉の時代に豊国陵で削られて無くなったのかな?智積院は秀吉が焼いた根来系統ですが、先の寺は秀吉が亡くなった子の菩提に建てた寺です。阿弥陀様の前の山、という事なんでしょうね。
昔は風葬の他に鳥葬も行われて、放置されたご遺体の肉が無くなると着物が外れてひらひらと風に舞うのも当たり前の光景だったようですよく和歌の中に、山のふもとに白妙の衣がたなびいて⋅⋅⋅みたいなのがありますが要するにそういう事だそうです
大河ドラマのファンで数日前に京都観光で清水寺に行きましたよ!ドラマ見て鳥辺野をググったら近くだったとは。。坂でつまずいたり、転んだりしたら3年で死ぬってジンクスは聞いたことあったけど・・・マジかも。こわ
ン十年前にさだまさしの曲:鳥辺野の現場に行きたくて行ったことがありますが、京都駅の観光案内所で訪ねても職員の(前?元?)お姉さんに「え!それ、何処ですか?」と逆に聞かれる始末(汗」『京都三大風葬地の一つやろがいッ!勉強しとけいッ!』年配のタクシー運転手が「バスで東山五条まで行って、清水さんに上がる道の右に細い路があるのでその道を行った先が鳥辺野やで」と教えてくれましたわ。
祖母の家が烏寺上ルに在りました。庭に石の五重塔が在りました。いまは家に移しましたが、昔の墓の笠の部分を重ねた物のようです。京都の庭の五重塔はそんなんが多く有ります。その大黒町辺りはお地蔵様が多い、祖母の家には大日如来とかで27日にお供えを持って行ってましたが、三尊像で大日如来にはどうも、その像は表に有ったのを、路地裏に移した為にその家の主人が亡くなっと、人間は必ず死にますからね、笑笑。祖母は雑巾で尊像を良く掃除してました。笑笑。兎に角、京都ではお地蔵様の移設には慎重です、その家に付いているお地蔵様も多いです、この石仏たち、墓じゃね?うちの五重塔はどなたの墓でしょうか。
阿弥陀ヶ峰かな、山腹に古様の石塔婆倒れているよ、耳塚のようなんでなく一つの石で作られていて、この辺も埋葬地なんかな。僧形で無い地蔵風の石仏もまとめられてますよ。
阿弥陀ヶ峰横、京女校舎辺り、寺の山号が地蔵山でした。確かに京都トレイルや日吉町には石仏が多い。墓地かな?
一中節やお俊伝兵衛の心中した鳥辺山、御陵の石碑表記は鳥戸陵、古地図の表記は鳥部山、笑笑。
夜の撮影はヤバいですよ。。お払いに行きましたか?
鳥辺野はこうなってるんですか。大丈夫、何も出て来ませんよ。大きな風葬地が京を囲んであったわけだからきっと町中は腐敗臭に満ちていたことでしょう。雅とは程遠いですね。
鳥辺野か……九条山で殺された死体が日ノ岡ホッパラ町に放ったらかしにされた話は有名ですが…💀
ここに来るのは危ないと思います、青山墓地より怖い?
怖くないです。夜は照明もないから怖いだろうけど、昼間は大谷本廟から清水寺への抜け道です。
中学の時の国語の先生によると、鳥辺野はその文字の通り鳥葬にしていた場所だとのこと。確かにカラスの鳴き声もしてました。いつも思うけど、よくあんな崖下まで整備して墓地にしたなぁって思います。
なるほど。納得です。鳥→カラス。京都人です。窓開ければ、墓です。。。
清水寺と鳥辺野がこんなに近いなんて知りませんでした。平安貴族様ありがとちゃむ。おぱんちゅうさぎの事知ってるかな?令和に存在するマスコットキャラクターのひとつだよ。言葉の最後にちゃむを付けます。平安にも何かキャラクター有ったの?う~ん例えば穢れちゃんとか?😊
おぱんちゅうさぎ、初めて知りました。可愛いですね。にしても「穢れちゃん」、朝から爆笑してしまいました(笑)外道平安貴族なのでこういうブラックユーモア大好きです。朝のひと笑いありがとうございました。
あれは完璧にフィクションですから、まひろも道長も歩いていません。風葬とは、遺体を置きっぱなしにしたところです。大概は川べりです。
あの土産物屋の並ぶ参道の隣が巨大墓地、しかも勝手はは風葬鳥葬の地。マトモな土地でないのは、ボッタくり土産物屋のオッサン達を見ればやっぱりと納得。
東山区のこのあたりの住人はこういう言い伝えや歴史上の文脈の中に自分もあてはめちゃってバケモノ化してるやつもいるからほんとめんどくさいやつらの頭の中では自分は特別な存在なのだろう。かつてミヤコだったから人がたくさんいて偉人もいたりしていろんな出来事があったというだけなのにね。
ばぁさんの墓が鳥辺野にある。
塩でお清めしてくださいね。
まぁ、あれですわ。年頃ならチョットコワ~いとか、言いそうですし、気にもなりますね。見えないモノほどコワイモノは無いので。でもね、落ち着いて考えましょうね、普通のマトモナ生きものは、誕生しますと生命の長さの時間はそれぞれですが、いずれは死滅しますね、たいして変わらないんですわ。ソノヘンの蛇とか、蚤とか、蜘蛛とか、蜥蜴とか、生まれるスタイルは異なりますが、死滅しますわね。見えないって、コワ~いデスよね、不安になっちゃいますね。今、ココに居るこのお手手に足に、触れてる自分のお手手に触れるお顔だって、アラ?今は在るのにいつか?無くなるの?え?アノ~、アタシ、今、生きてる?とかいいだすと、ドラキュラの世界では鏡を見ると鏡にはその姿がうつらない!!キャーーつ!!って?なるのかしら?ソレハソレとして、そうよね、こうやって入力している私もいずれは入力するお手手モロとも動かなくなって、孤独死なのかどうなのかは知らないけど、死んじゃうわけよ。なんだっけ?鳥野辺だけ?アラマァ応仁の乱あたりは京都中がマサニ鳥野辺だったらしいわよ。お辛い事でしたわよね。あ、マー、恥ずかしく罰当たり!鳥辺野だったわ!!
京都女子大学辺りも鳥辺野、阿弥陀峰は東山一高く豊国陵、その東に定子陵、藤原三代の墓や皇后などの墓も多数存在し泉涌寺に至ります。第一日赤や私の母校月輪中学のグラウンドからも多数の人骨が出たとか聞いています。
清水寺の近くにこんな大きな墓地があるなんて知らなかったです。
実際の京都の方が紹介してくださるのが興味深かったです。
音楽も好きでした!
京都は行った事はあるがなかなか歩いて回る事はないから有り難いです。歩いて京都をまわりたいが方向音痴なので一人は、無理。でも人がいると気が散る。んで有り難い動画です。有り難い😊
京都に行ったのは修学旅行しかありません😅可愛いバスガイドさんが京都慕情を歌ってくれたのが良い想い出です😢近いうちに行きたいです!
大谷本廟の裏手?にたくさんのお墓がずらずら並んでいますね...
今熊野の滑り石街道の入口、すし丸と漬物のにしだ屋の所に鳥辺野陵、中尾陵の石碑があります。街道を行くと親鸞聖人荼毘所と言う寺がある、親鸞聖人荼毘所は多く存在しますがそんな場所みたいですね、石仏がまとめられた処も九相図の最後も耳塚みたいな石塔ですね。檀臨皇后であの規模。
昨夜の大河ドラマを見ていたとき、ふと清水寺の近く?
なんて考えていました。やっぱりそうだったのですね。(笑)
私達が現在住んでいる場所や、公園って
古地図と比べると
怖いと感じる事があります。つまり歴史を知り生きる必要もあるのです
我も改めて当時の状況を想像しながら鳥辺野まで歩いて、歴史を知る大切さを改めて感じました。これからも外に出て色々調べたことを配信させていただくのでよろしくお願いいたします。
鳥辺野は 「お墓を通ると清水寺への近道」みたいな覚え方してたな……
20年前に京都旅行へ行った時、清水寺へ行きたかったけど夕方で時間が無いのでタクシーで行きました。
近道だよって事でこのあたりで降ろされました。
運転手さんが昔の人は亡くなるとこの山の上から人を転がり捨ててた場所なんですよって😨
夕闇の中、観光者なんか誰もいない、このお墓の脇を駆け抜け、清水寺へ辿り着いたときはホッとしました。
当時はなんだか意味が分からず、ただ、ただ怖いだけでしたが、大河ドラマと、このRUclipsを見て、点と点がつながったようでスッキリしました。
ありがとうございます。
身体を張ったレポート有難うございます~。今は普通に墓地なんですね。
お墓は怖いところではありませんよ。
ブラタモリの清水寺の回の最後で紹介していた場所
さだまさしさんが「鳥辺野」という曲を作詞作曲し歌っています。
彼女が別れた彼氏との思い出の記憶が消えていく様を風葬地・鳥辺野に朽ちていくシ者に準えた
風葬地のおどろしさはない晴れた秋の昼間に訪れたような歌です。
今日、犬と散歩してたら渋谷街道、五条バイパス沿い、清閑寺近くに高倉天皇、六条天皇陵、遍照の墓という石碑が在りました、多くの陵は豊国陵や京都女子大学なんか建設時に壊されたのかな。その左右に多く存在してます。この辺りは東山最高峰の裾野、平氏の小松谷も近く高倉天皇、小松谷は後白河陵、法住寺殿の背後、私の母校一橋小学校は滋子の寺、定家も景勝を絶賛した景勝光院跡で仏具が出土しています。その屋上での体操の時間は確かに定家に言うとうりに思います。
大谷本廟や大谷祖廟は圧倒されますよね。
でも、あの一基一基のお墓の下には日本を支えて生きてこられた方々が眠られているのかと思うと
不思議と怖い気持ちは無くなります。合掌。
8:35辺りにお墓の間に赤い細長い光が見えるんですけど、あれも京都タワーですか?
昼間の動画にも京都タワーが映っていたので中心地からこんなに近いんだ…と驚きました
平安時代はこんな風に墓石など建っていなくて、ご遺体が散乱してたのでしょうね…奈良時代に描かれた九相図さながらに…怖いけどちょっと興味を惹かれる光景でもありますね
コメントありがとうございます。はい、ご推察の通り京都タワーです。割と京都駅からも近いんですよ。
@@surrealjapan1269
京都タワーで良かったですw金網から見えたのはハッキリしてたけど墓石の間に隙間なんてあるかな?って思って…
もしかして…って怖かったので京都タワーって言ってもらって安心しましたw
現地を見せていただきましてありがとうございます。とても興味深く視聴させていただきました。
飢饉や疫病が流行った時は凄惨な光景が広がっていたかもしれませんね…
ただ本来墓地は清められた場所とはいえ、何か「障り」がありましたら躊躇なくお祓いを受けられることをお勧めいたします。
またこのような場所に行かれた際は「障り」があるかもしれませんので、何も持ち帰らないようお願いしたいと思います。
遥か昔の葬儀事情がよく判りました‼️
水木しげる先生の墓場の鬼太郎の世界ですね。❗
清水寺の舞台から飛び降りた気持ちで とか言いますね。昔は清水寺の舞台から亡骸を下に落としてたんです。亡骸は木の枝に引っかかり、鳥葬の準備完了。つまり飛び降りた気持ちでとは、死んだつもりでと言う意味なんですよ。
泉涌寺辺り今熊野観音寺参道のもう一本の道を行くと鳥辺野陵と書いた石碑が有ります。そこを登ると定子陵、藤原三代の陵、が有ります。
阿弥陀ヶ峰が阿弥陀如来なら渋谷から五条辺りの山が勢至菩薩、定子陵辺りの阿弥陀ヶ峰の南隣の山が観音菩薩、御所からもあの辺りと認識出来たでしょうね。記憶が不確かですが、村上天皇の皇后陵もその辺、日赤の西、本町にも中尾陵、京阪東福寺駅にも何とか皇后陵の案内石碑がありますね。今度良く見て置きます。
色々勉強になりました。
こうして歴史のあるまちならわかりますが、ニュータウンと呼ばれるまちだと
何もわからないですね。
やはり地元の方に案内してもらうとすごく楽しいですね。うちは戦国時代より前から江戸ですが、地元の谷中銀座はほとんど新しく変わってしまいました。しかも、昭和あたりから移り住んできた地方の方だらけのようで、嘆いていました。京都はいいですね。
昨日大河を見て鳥辺野ってどこやろ?と思っていましたが、ここは実家のお墓があるところでした😅
もう少し下行ったところのお墓の間に普通のお家もあり、小さい頃は住んでる人怖くないのかな?と思って通っていました。
この片隅に親族の墓があり、彼岸の都度お参りしておりました。
貞教幼稚園同級生の家には地域のでは無くその家のお地蔵様、石仏が在りました。祀ると家が栄えると。定子陵や藤原三代陵の西の今熊野観音寺に平安時代と言われる、耳塚のような立派な石塔が有ります。同じく泉涌寺の塔頭寺院の即成院には那須与一の墓という石塔が有ります。泉涌寺辺りに清少納言が晩年に住んだという人も居ます。定子陵が近くに有るからでしょうか。この地域の歴史は今熊野神社の宮司さんが詳しく、地域の小誌に書かれてましたが、数年前に亡くなられてます。
観光客は行かない場所ですね。お墓が密集して お彼岸の時は凄いんでしょうね。
鳥辺野、鳥部山、の表記も、鳥部が住んでいたのでしょうか。
京都の道路事情 ボコボコですね
東山の名前調べると、阿弥陀ヶ峰の前が鳥辺山、横が今熊野山、阿弥陀ヶ峰の横が泉山、前が大日山、稲荷山へ続く。住宅地も山やったんやね。
何が怖いのかよく分からん…
要はお墓でしょ…?
子供じゃないんだからさ。
京都に行ったら必ず、お参りする場所。鳥辺野陵。
俺にとってはアイドルでもある中宮定子様の陵(というか別の人も書いてるけど当時の歴代皇后陵)
ここを通って清少納言が晩年住んだと言われるあたりの泉湧寺をお参りしてそれから京都観光に
回るのがいつもの京都のルーチン
棺桶に三途の川の渡し賃としてお金をいれてたので、その渡し賃で飴を買っていたと聞いてますが?
初めまして。ちょっと伺います。
3/3の夜の大河ドラマの放送後に この動画をUPされたのですよね?
「道長とまひろが行った この鳥辺野は, もっと鬱蒼と茂っていた筈です」とナレーションしていらっしゃいましたが、昔 いらして動画を撮ってあったのを、3/3の大河ドラマ後に、大急ぎで編集されたのでしょうか?
しかし、お仕事が速いですね❗️
ご質問ありがとうございます。はい、夜の大河ドラマが終わってすぐにUPしたんです。事前に仕込んでました(笑)ちなみにBS4Kというチャンネルでは日曜日のお昼から放送されてるんですよ。
ハッピー六原、結構惣菜や弁当が美味しい。
一つお聞きしたいのですが、清水寺を下って六波羅蜜寺までの距離にお墓って道沿いに多く有ったんでしょうか。
今日犬と散歩してたら馬町に佐藤忠信の塚というのがあった。
今日の犬の散歩で今熊野から滑り石街道に仁明天皇女御澤子様の御陵がありました、鳥辺野陵の石碑が。もう少し南が定子陵ですね、石仏が多い地域です。まとめて祀ってありましたよ。
それこそ、日本全国強者どもの夢の跡かも
私の卒業した高校のグランドは昔の首塚です。小さな神社には手が生えているという霊感の強い人もいます。
私は見えない部類なので幸せですが、そんな歴史はリスペクトしています。今という時代を形跡しているので
日は西にぞ入り給う、東山から見る西方浄土、西山に入ル日輪は信仰を喚起します。祖母も良く手を合わしてました。
東山三十六峰の古図を見ると阿弥陀ヶ峰の前に鳥辺山、横に今熊野山、大日山、泉山、稲荷山へ、鳥辺野て鳥辺山の裾野でしょうね、京都では野のつく地名は葬送の地と言われてます。蓮台野、鳥辺野、紫野、鳥辺山て智積院とか妙法院辺り?秀吉の時代に豊国陵で削られて無くなったのかな?智積院は秀吉が焼いた根来系統ですが、先の寺は秀吉が亡くなった子の菩提に建てた寺です。阿弥陀様の前の山、という事なんでしょうね。
昔は風葬の他に鳥葬も行われて、放置されたご遺体の肉が無くなると着物が外れてひらひらと風に舞うのも当たり前の光景だったようです
よく和歌の中に、山のふもとに白妙の衣がたなびいて⋅⋅⋅みたいなのがありますが要するにそういう事だそうです
大河ドラマのファンで数日前に京都観光で清水寺に行きましたよ!
ドラマ見て鳥辺野をググったら近くだったとは。。
坂でつまずいたり、転んだりしたら3年で死ぬってジンクスは聞いたことあったけど・・・マジかも。こわ
ン十年前にさだまさしの曲:鳥辺野の現場に行きたくて行ったことがありますが、京都駅の観光案内所で訪ねても職員の(前?元?)お姉さんに「え!それ、何処ですか?」と逆に聞かれる始末(汗」『京都三大風葬地の一つやろがいッ!勉強しとけいッ!』
年配のタクシー運転手が「バスで東山五条まで行って、清水さんに上がる道の右に細い路があるのでその道を行った先が鳥辺野やで」と教えてくれましたわ。
祖母の家が烏寺上ルに在りました。庭に石の五重塔が在りました。いまは家に移しましたが、昔の墓の笠の部分を重ねた物のようです。京都の庭の五重塔はそんなんが多く有ります。その大黒町辺りはお地蔵様が多い、祖母の家には大日如来とかで27日にお供えを持って行ってましたが、三尊像で大日如来にはどうも、その像は表に有ったのを、路地裏に移した為にその家の主人が亡くなっと、人間は必ず死にますからね、笑笑。祖母は雑巾で尊像を良く掃除してました。笑笑。
兎に角、京都ではお地蔵様の移設には慎重
です、その家に付いているお地蔵様も多いです、この石仏たち、墓じゃね?うちの五重塔はどなたの墓でしょうか。
阿弥陀ヶ峰かな、山腹に古様の石塔婆倒れているよ、耳塚のようなんでなく一つの石で作られていて、この辺も埋葬地なんかな。僧形で無い地蔵風の石仏もまとめられてますよ。
阿弥陀ヶ峰横、京女校舎辺り、寺の山号が地蔵山でした。確かに京都トレイルや日吉町には石仏が多い。墓地かな?
一中節やお俊伝兵衛の心中した
鳥辺山、御陵の石碑表記は鳥戸陵、古地図の表記は鳥部山、笑笑。
夜の撮影はヤバいですよ。。お払いに行きましたか?
鳥辺野はこうなってるんですか。大丈夫、何も出て来ませんよ。大きな風葬地が京を囲んであったわけだからきっと町中は腐敗臭に満ちていたことでしょう。雅とは程遠いですね。
鳥辺野か……九条山で殺された死体が日ノ岡ホッパラ町に放ったらかしにされた話は有名ですが…💀
ここに来るのは危ないと思います、
青山墓地より怖い?
怖くないです。夜は照明もないから怖いだろうけど、昼間は大谷本廟から清水寺への抜け道です。
中学の時の国語の先生によると、鳥辺野はその文字の通り鳥葬にしていた場所だとのこと。
確かにカラスの鳴き声もしてました。
いつも思うけど、よくあんな崖下まで整備して墓地にしたなぁって思います。
なるほど。納得です。鳥→カラス。
京都人です。
窓開ければ、墓です。。。
清水寺と鳥辺野がこんなに近いなんて知りませんでした。平安貴族様ありがとちゃむ。おぱんちゅうさぎの事知ってるかな?令和に存在するマスコットキャラクターのひとつだよ。言葉の最後にちゃむを付けます。平安にも何かキャラクター有ったの?う~ん例えば穢れちゃんとか?😊
おぱんちゅうさぎ、初めて知りました。可愛いですね。にしても「穢れちゃん」、朝から爆笑してしまいました(笑)外道平安貴族なのでこういうブラックユーモア大好きです。朝のひと笑いありがとうございました。
あれは完璧にフィクションですから、まひろも道長も歩いていません。風葬とは、遺体を置きっぱなしにしたところです。大概は川べりです。
あの土産物屋の並ぶ参道の隣が巨大墓地、しかも勝手はは風葬鳥葬の地。
マトモな土地でないのは、ボッタくり土産物屋のオッサン達を見ればやっぱりと納得。
東山区のこのあたりの住人はこういう言い伝えや歴史上の文脈の中に自分もあてはめちゃってバケモノ化してるやつもいるからほんとめんどくさい
やつらの頭の中では自分は特別な存在なのだろう。
かつてミヤコだったから人がたくさんいて偉人もいたりしていろんな出来事があったというだけなのにね。
ばぁさんの墓が鳥辺野にある。
塩でお清めしてくださいね。
まぁ、あれですわ。年頃ならチョットコワ~いとか、言いそうですし、気にもなりますね。見えないモノほどコワイモノは無いので。
でもね、落ち着いて考えましょうね、普通のマトモナ生きものは、誕生しますと生命の長さの時間はそれぞれですが、いずれは死滅しますね、たいして変わらないんですわ。ソノヘンの蛇とか、蚤とか、蜘蛛とか、蜥蜴とか、生まれるスタイルは異なりますが、死滅しますわね。
見えないって、コワ~いデスよね、不安になっちゃいますね。今、ココに居るこのお手手に足に、触れてる自分のお手手に触れるお顔だって、アラ?今は在るのにいつか?無くなるの?え?アノ~、アタシ、今、生きてる?とかいいだすと、ドラキュラの世界では鏡を見ると鏡にはその姿がうつらない!!キャーーつ!!って?なるのかしら?
ソレハソレとして、そうよね、こうやって入力している私もいずれは入力するお手手モロとも動かなくなって、孤独死なのかどうなのかは知らないけど、死んじゃうわけよ。
なんだっけ?鳥野辺だけ?アラマァ応仁の乱あたりは京都中がマサニ鳥野辺だったらしいわよ。お辛い事でしたわよね。
あ、マー、恥ずかしく罰当たり!鳥辺野だったわ!!